DKOを振り返り①・なぜ湾フグロッドだったのか? <後編(槞)>

ひゅぴたりぽん、21歳女子学生兼丸の内オフィスレディの安藤美智子です。

特に書くことがない。日常の事とか、好きな事とか、ハマってる事とか、世間への不満とか、何も書くことがない。別にそれらが何もない訳ではないが別に書くほどの事がない。じゃあ書かなきゃいいじゃん、はいそうですね。暇つぶしなのですみません。あんなにはてなブログが暇つぶしという体で寝てはっててすみませんでした。ツイッター、失礼、エックスにしても自意識過剰義務でアレをやっているのはあるがそもそも書くことがないから自然とアレになっているというのもある。フォローワーにしてもそうでない人にしても呟く人はすごい呟くし、その上でブログなんかもやっている人がいるけれど、よくそんなに投稿する事があるなと関心する。別にこれは嫌味でもなんでもなくただ単にそう思う。学校でも丸の内でも何もない。家に居ても何もない。出かけても何もない。そもそもそんなに出かけない。これといって趣味もない。彼氏もいない。友達もいない。何もない。だから書く事が何もない。どこどこ行ったとか、何々面白かったとか何もない。人生何もない。家から工場までは徒歩で約8分
家から近いだけで選んだ安い生きがい
また今日もいつものように始まり終わる
部品と共に俺の人生も流れてくなんかこれはこれでメンヘラっぽい事を言っている気がするが別にこの状況を僻んでいる訳でもない。リアルが充実している人を僻んでいるわけでもない。別に私にとってのただの日常を私はエックセズする必要がないと感じているだけである。例えば丸の内の業務が疲れてそれを「仕事疲れたなうみ〜」とエックセズすればいいのかもしれないが、その必要を感じないというだけです。人のエックセズ見るのは好きなんですけどね、でもそれに対してエックセズ送るのは今のあの状況になる前から苦手だったし成海瑠奈。そもそも対人コミュニケーション能力が低い。私なんて生きている価値なんてないんだ、きっと死んだ方がいい人間なんだ、とマイナスな感情をエックセズすることもない。そもそもそう思うこともない。生きていたいか死にたいかで言えば死にたいが、どちらかと言えば積極的に生きていたくないというだけで日頃から死にたいと思って生きている訳ではない。こういった類のメンヘラエックセズを見るたびにじゃあさっさと死ねばいいんじゃないかと考えてしまう私がいるがまあ実際死ぬというのはかなりの勇気が必要だと思う。私もその悠木千帆があったら恐らくこの世には既に存在していない。なんか暗い感じになってきたが別にそういう感じの回ではない。ないことに対して何かを書き連ねると自然とこうなるだけであって私は別にいまダウナーな訳ではない。最近あったたのしかったことを発表します。まぁはい特に何もないですね。強いて言えばパチンコかぐや様で四万円勝ったことでしょうか、しかしこの前の記事で書いたようにその勝ち分はすでに消えています。その四万円で何が出来たか……特にない。いや欲しいものがない訳ではない。むしろ結構ある、だが別に何かすごい悔しいとも思わない。これは別にお金をたくさん持っているからとかではなくて、そもそも本当にお金持ってないし、単純になんというか人間こういうふうに枯れていくんだなと、四万円すったことに対して勿論もったいねぇ〜と思うが、そもそも前の勝ち分で勝った分を溶かしただけなのでそこまで何も思わないだけだと思う。これが銀行からおろした四万円で、それを何か不良品を買ったとか単純に落としてなくしたとかだったら今こんなブログなんて書いてる場合じゃないくらいに普通に落ち込むと思います。パチンコは勝っても結局ゼロになるだけなのでやめましょう。私は前回の記事以来一度行っただけで本当にもう行っていません。いや一回行ってるんかいと思いましたね、私も思いましたね。負けましたね。学校か仕事が終わったらパチンコ屋行って帰って寝るが習慣でしたが、今はそこからパチンコがなくなって寝るだけになりました。いやまぁ勿論パチンコ屋に行っていた時間だけ空き時間があるので何もしていない訳ではないが、音楽を聞くか、ゆうちゅうぶ見るか、ラジオを聞くか、映画見るか、本を読むかぐらいで特に何もない。そして今はこのブログを書いています。本当にすることがないです。そして本当に日常に何もないのでここまでを読み返したらすごい病んでいる人みたいになっているし、まぢつらぃ……今は6時くらいに家を出て17時ぐらいには家に帰って来て、諸々家事をしてお風呂食べてご飯入って20時ぐらいで、22時ぐらいに寝て4時から5時くらいに起きています。すごい健康的な生活を送っています。つまり自由時間は20時から22時の二時間なのですが、冬になってから寒いので布団で横になってゆうちゅうぶを見ているかラジオを聞いているだけで終わる事が増えてきました。暖房はつけません、電気代が勿体無いので。なので必然的に暖かい布団の中にいるしかないのです。あ、今ナンバーアイのGOATという曲がラジオから流れてきたのですが皆さんはこれもう聞きましたでしょうか、あ、そもそもナンバーアイって誰?みたいな人の方が多いのでしょうか。ジャニーズのKing & Princeだった三人が脱退退所して新グループとなったのがナンバーアイです。私はキンプリを彼氏のKLPさんに教えてもらってにわかファンみたいな感じでふんわり追う程度に好きだったので、今回の分裂騒動にはそこら辺の興味ない人たちに比べれば思うところがあるのですが、別にまぁいいんじゃない?みたいな感じではあります。勿論どんな形であれ五人一緒だったら良かったなぁとは思いますが、まぁいいんじゃない?まぁ……いいんじゃない?まぁでも五人一緒だったら………まぁでもいいんじゃない?ということでそのナンバーアイとしての新曲がGOATなんですがこれがかなり攻めてます。全編ラップというアイドルグループとしてはかなり攻めてます。しかもメロディックなラップというよりは結構好き嫌い分かれそうな感じのトラックで攻めてます。正直私も初めて聞いた時「え……?」とはなりましたが結構好きです。日本のポップミュージックシーンにおけるラップって地位が低い気もするしラップといっても局所的に入るだけでサビはメロディックだったりする中でこのGOATを出したのは世界的な受けを狙ってるのかなと思いました。そもそも分裂理由のひとつがそんな感じだったとも聞きましたし。まぁでもシンデレラとか恋煩いとかそれこそ言ってしまえばザ・アイドルソングみたいやつとかも好きだったので思うところはあります。日本の音楽は遅れてるとかアイドルソングがjpopをダメにしたとか色々言われてますがそれが間違っているとも正直思わないですが、アイドルソングアイドルソングで結構好きなものもあったりします。むしろ最近のKPOPとかは歌よりもバックトラック優先にやりすぎて「もう歌じゃないじゃん」みたいな現象もある中で逆にアイドルソングいいんじゃないかとも思います。ただまぁバックトラックのレベルは遥かに海外の方が高いのは事実でしょう。その点goatはバックトラックも力入れてる感はありますね、最近でたHey!Say!JUMPのreadytojumpもバックトラック優先だったりグループ名知らないけどLDHのなんかのstar boysみたいな曲も結構格好いいドラムンベースだったり日本のアイドルソングも進化してきている気がします。でもシンデレラとか恋煩いみたいなザ・アイドルソングも………

ないことについて書くよりあることについて書いた方が建設的だということがgoatのおかげで分かったので流れで2023年によく聞いた曲、グループを発表します。はいnumber girlです。と、なってしまうので2023年にリリースされた曲を発表したいと思います。ロックでいうと2023年はローリングストーンズのアルバム、ハックニーダイアモンズになってしまうかもしれませんが個人的にはマネスキンのラッシュの方がよく聞きました。マネスキンは2021年ぐらいのアルバムを聞いてハマってなんか一発屋で終わりそうとか思ってましたが普通に今もヒット曲出してるし私が間違っていました。honey(are u coming?)格好いいのでまだ聞いてない方は是非聞いてみてください。思い返してみるとあのDiscordサーバーのノリのせいもあるかもしれませんが去年一番聞いた曲はXGのシューティングスターかもしれません。正直最初はなんだこれみたいな感じだったのですがめちゃくちゃハマりました。XG自体にもハマりました。new danceもクリスマスソングもよかった。シューティングスターはMVも良いですね。その流れで行くとODD EYE CIRCLEのAIR FORCE ONEもよく聞きました。このグループもお家騒動というかなんというかで色々あったグループが事務所を退所して久しぶりの新曲みたいな感じで聞けただけでなんかよかった、という感じです。勿論曲も好きですが。loona日本で流行らなかったな……フラフープ好きなんだけどな……このグループはメンバー全員がまずソロデビューするという奇抜な戦略をとっていたのですがその中のkim lipのeclipseという曲がめちゃくちゃいいのでそれだけでも聞いてください。宇多田ヒカルが好きな人なら絶対ハマる。浜田麻里のこれハマります。material world。アニソンはなんかあったかな……そんなにアニメ見なかったな……羊文学のmore than wordsかな……ところで今までだれも私が勧めるナンバーガールにハマった人間が一人もいないのだが、そんなに尖っているわけでもないとおもうのだが。ものすごい客観的なフラットな視線で聞いて向井の歌が上手いかと言うとそんなことはないと思うけど、向井ワールドに一度ハマるともうこれしかなくなるっていうか、何言ってるか分からないから文字で歌詞見ながら聞いてみてください。今日はもう寝ます。

CR 釣り〜なぜ、湾フグロッドだったのか?〜 1/319ver

こんにちはっ❤️21歳女子学生兼丸の内オフィスレディ兼女博徒、安藤美智子です。新年あけましておめでとうございます。久しぶりなので前回までの自分のブログを読み返したら全く意味が分かりませんでした。今回は番外編ということでアレの話をしたいと思います。

アレとはそうタイトルで分かった方もいると思いますがパチンコです。これを読む人の大半は行ったこともないしやったこともない上にそもそもあまり快く思ってない方が多いと思います。ヤンキーとか生活保護費受給者が煙草をぷかぷかしながら爆音でやっているあれです。まぁこのイメージも今では実際には少し違いますが、何にせよパチンコなんかやっている人に碌なやつはいないのは事実なんでしょう。行かない方がいいです。絶対にやめましょう。

 

 

 

好きな漫画作品とかアニメ作品がパチンコになったりするとなんとも言えないモヤモヤ感を抱えた時期もありました。いや実際には今もそうなのかもしれません。しかし私にとってパチンコ屋自体はそこまで忌避感のあるものではありません。今では考えられませんが時代が時代だったのでよく祖父とかと子供の頃パチンコ屋に行っていました。もちろんプレイはしませんでしたが。まぁでもパチンコにはやはりあまりいい感情はありませんでした。現実でもネットでもパチンコは日陰の存在と言っていいでしょう。同じギャンブルでも競馬とは雲泥の差です。そんな私が初めてプレイを目的として自ら……?パチンコ屋に行ったのは大学生だった時に先輩に連れていかれたのが初めてでした。その時一通りプレイの仕方を教えてもらってやってみましたが、ありえない速度で一万円が消えてしかよ何も演出も起こらなくて何がおもろいねんこれとなりました。在学中はそれきりでそれ以来行くことはなかったです。本当に。そのあとアングラなバイトをしていた時に周りの人がみんなやっていたのと暇だった時間が多くて久しぶりにパチンコ屋に行ってみました。そしたら爆勝ちしました。バージョンは覚えてませんがエヴァの台だった気がします。当時のバイト代の1/2ぐらい勝った気がします。そこから少し色々覚えて誘われたら行くぐらいの感じで週に一、二回ぐらい行ってました。そのバイトをやめた事とそもそも出不精であることと誘われない限りは行ってなかったこともあってここ数年は本当に行ってなかったですし、打ちたいとも思っていませんでした。それが今なぜこんな話しをしているか、なぜ、湾フグロッドだったのか、それは今回の長野出向が暇すぎたからです。九月から十一月ぐらいは忙しすぎて暇なんてなかったですが十二月に入りそれも落ち着き基本的には定時とかで上がれるようになりました。しかし家に帰ってもすることがありませんでした。パソコンがないからゲームも出来ないし、海外ドラマとか映画を後輩と見ていたのが唯一時間潰しとしてあったのですが、暇になったので後輩は先に帰り、一人でも見たいものは大体見尽くしてしまいました。海外ドラマなんていっぱいあるんだからいくらでも時間潰せそうですが、クオリティが低いものを引いた時の時間の無駄がすごいので新規開拓しまくるのも気が引けるというか腰が重いというか、この感覚海外ドラマをよく見る方なら分かってもらえるのではないかと思います。なぜならリミテッドシーズンでもない限りシーズン数が基本的に多いので見始めるのに覚悟が必要なんです。家に帰ってもすることもないとなった時に外でやる趣味と言えば音ゲーがあるのですが職場から一番近くても片道40分ぐらい最寄りのゲーセンまでかかるのでそれはそれで腰が重く、どうしたものかなと思っていたのですが、その当時かまいたちyoutubeをよく見ていてパチスロネタがよくあり懐かしく、職場からいま住んでいる家の間にパチンコ屋があったので久しぶりに行ってみよう、となったのが始まりです。つまり週五六で通っている現在もあくまで暇つぶしとして行っているだけであってハマってないのです。いや、正直に言えば今日ハマっていることを自覚しました。私の中にいたのです、博徒としての私が。だから今これを書いているのです。

 

そもそもパチンコとはなんなのか、言ってしまえば運ゲーです。技術介入がないわけではありませんし、もちろん素人とプロでは差がつきます。しかしそれは長期的に見た時の話であって、一日素人とプロが打ってその日の収支で勝負をした時、素人が勝っている可能性は普通にあります。なぜ、そんな運ゲーにハマるのか。ただの運ゲーにハマる人は少ないと思いますが、こと金が絡むと人はおかしくなるのです。楽をして金を稼ぎたいと思っている人は大半だと思います。そしてパチンコというのは短期的に見た時に楽に金が手に入る得る手段です。勝ちの経験が人をおかしくするのです。自慢ではないですが、私は今日この日までタコ負けしたことがありませんでした。マイナスになっても数千円(まあ数千円の負けをなんとも思わなくなった時点で人として終わりですが)プラマイゼロか勝って終わる。そもそも一カ月前ぐらいから通い始めて財布の中身がパチンコ以外にもお金を使っているのにATMに行っていないのに恐らくその時より多いので総収支的には勝っています。しかしそれも今日の負けでほぼプラマイゼロになりました。私はパチンコにおいては「熱」とか概念的なものに従って打つのではなく、割とパチンコというものに対してドライな付き合い方をしていました。所謂コンコルド効果とも言うべきか、数万溶かしたら負けると分かっていても負け分を取り返そうと投資してしまい更に負ける、というのがパチンコにおいてありますが、私は損切りをさっさとして勝てそうな台に移動したり、その日はもうやめたり、傷口を広げないスタイルで今日まで勝ち続けていました。しかし今日は「熱」に浮かされてしまいタコ負けしました。ホールの思惑通りの客になってしまいました。リゼロ2にやられました。私はそんな私を客観的にみてもうパチンコは辞めようと思いました。熱に浮かされてスタイルを変えてしまったのです。それでは負けるのも納得です。しかしホールを去り、家に着き、私は博徒として覚醒したのです。一度の負けでくよくよして女として情けない。そもそもまだ負けてない。私は負けない。私は負けてない。勝つまで諦めない人が勝つんだ。勝つまでやればいい。そう明日全てがわかる。

という思考回路になっている人が周りにいたらギャンブル依存症の可能性があります、手を差し伸べてあげてください。

 

ここでパチンコを打ってみたいと思っているあなたにおおまかなパチンコのルールを説明します。ハンドルをひねって玉を発射します。それを画面中央下部のへそにいれます。終わりです。へそに玉が通った時にその機種ごとの当たり確率から当たりを引くだけです。例えば1/319の台だったら1/319で当たります。ここで勘違いしてはいけないのは玉を入れるごとに1/318、1/317と当たりの確率はあがっていきません。毎回1/319の抽選します。これに関してはプロも素人も同じです。一発目の玉であたる人もいれば千発入れても当たらない人は当たらないです。運ゲーです。何が面白いのかと言われてもなにも面白くないです。そして勘違いしている人は打っている人にもいますが、玉が入ると演出が起こります。リーチ!とか言って主人公が敵と戦うアニメーションが流れたりして、勝ったら当たり、負けたらハズレ。ボタンを押したりして勝負の行末を見守ります。しかし勘違いしてはいけないのですが、演出中に抽選が行われているのではなくてへそに玉が通った時点で当否は決まっているのです。じゃあ演出はなんなのという話ですが、演出それぞれに信頼度というものがあります。例えば主人公が普段は拳なのに剣を持ってたら拳は信頼度が2%なのに対して剣は40%みたいな、つまり当否自体は決まっていますが打ち手に対して「この演出は信頼度これくらいですよ〜」と射倖心を煽っているのです。ですが本来当たりかハズレかの0か100しかないので意味がないとも言えます。保留というものを無駄にしないためにおおまかな信頼度を覚える必要はありますが、その知識があってなくても当たり確率は同じです。最近はどの機種も先バレというモードがあるのでそれをオンにしておけば変な音がなったら手を離すかボタンを押すだけのゲームです。へそに玉が通った時の抽選結果はシステム上大体の機種で4つまで保留されます。それが保留です。保留が4つある状態でへそに玉を入れても意味がないです。では先バレとはその保留になった時点で演出よりも先に信頼度50%ぐらいありますよ〜と告知してくれるわけです。この運ゲーのどこにプロと素人の差が生まれるかと言うと技術介入を除けば回転率を見れるかどうかが全てだと思います。例えば1000円で20回へそに入れられる台と10回へそに入れられる台では当たり前ですが前者の方が抽選回数が多いので投資額に対して当たる確率が高くなります。しかし抽選回数が増える、というだけであって必ずしも当たるというわけではありません。しかし長期的に見れば当たり前かもしれませんがよく回る台を打ち続けた方が勝てる可能性は高いです。みなさんもよいパチンコライフを、私は辞めますが。

 

DKOを振り返り①・なぜ湾フグロッドだったのか? <中編(彁)>

こんにちはっ❣️21歳女子学生拳丸の内オフィスレディの安藤美智子です。

今回は前回、常田大希について語ろうと思っていたのにかなり脱線してしまったのでちゃんと常田大希にフォーカスを合わせたいと思います。なぜなら常田大希の話は避けては通れない話なのですから。

 

第四章 続・常田大希の勇

ここまで常田大希の話をしておいてなんだが私は彼の名前を音で聞いたことがなく字面しか知らないので実は「たいき」と読むのか「だいき」と読むのか分からないのである。私の中ではたいき、としている、その方が濁点を打たなくていいから楽だからだ。更に言うと私の携帯では「つねだたいき」にしろ「つねだだいき」にしろ一発変換できないので「常田大輝」と打って輝を消して希望と打って望を消している。実に面倒だ、変換登録すればいいじゃん、まぁ、はい、そうですね。というか今考えたのだがコピーしてペーストすればいいのではないのだろうか、普段あまり携帯で文章を打つ機会があまりないので盲点であった。それにしても輝と望を消すなど大それた真似だと思わないか、二つ合わせると輝望である。きぼう、恐ろしい話だ、私は常田大希さんの名前を打ち込む度にきぼうを消しているわけだ。あまりに畏れ多い行為だと今にして思う。そう、私は今回長野に長期の異動に際して常田大希さんの中に希望をみたのである、いやもっと言ってしまえば彼の中に神を見出したのだ。そしてどうやら今調べたら読み方は「だいき」らしい。

前回のブログの中で私は無神論者だと言っていたがアレは語弊がある、ここ長野に来る前までは無神論者だった、というのが正しい。そう今私は神の存在を信じている。しかし同時に無神論者でもある。意味がない分からないと思うが常田大希さんに気付かされたのである。私は何も常田大希さんを、神、そのものとして崇めているわけではない、彼の中に、神を見出した、のである。この二つは全くの別物である。前者は人格神論としての常田大希である、しかし私は汎神論として常田大希に神を見出したのである。言ってしまえば常田大希さんは神の存在に気付いたきっかけであると言える。皆さんご存知……かは知らないが、少なくとも私は知らなかったのだが常田大希さんは長野県出身である。それを私は長野に向かうラジオで知った。今思えばこの時下の名前の読み方を聞いたはずだか忘れていたようだ。そこでそんな豆知識と共に呪術廻戦のオープニングだというスペシャルだかなんかそんな感じの曲が流れてきた。それを聞いた時に私は別にそれを「神曲❣️」と思ったわけではない。今にしても曲の感想自体は別にまぁ普通と言った感じである。更に言えば相変わらずKing Gnuのヒゲダンの区別がついていない。曲の評価はまぁその程度である。しかし長野という土地でラジオでその曲を常田大希さんの歌声を聞いている中、私は気付いてしまったのだ、神に。飛躍しすぎ、というより訳がわからないと思うが、気付いてしまったのだから仕方がない。

私は前のブログでも書いたように言ってしまえば物理主義者である。霊魂とか観念の世界とかクオリアとかを信じていない、アンチ二元論である。そして常田大希の中に神を見出した今もそのスタンスは変わらない。形而上のものを否定しながら神の存在を信じる、一見すると矛盾しているようだが、矛盾はしていない。まず一般的になんとなく神の存在を考える時に、「物質としての世界」の外に観念として神を想像する人が多いのではないだろうか。つまり神は物質として存在するのではなく、それを超越した世界の外に観念として存在すると考えるわけである。しかし私はこう考える、全ては神の現れであると。そして全ては神を内に含んでいる。世界のみが存在して、神は世界の総和、世界は神の総和なのだと。つまりこの物質的世界、常田大希さん、わたし安藤美智子、あなた、全てが神である。例えば自然の中に円が存在している、その円は神の中に存在する円と同一なのだ。ということは神の中に存在する常田大希さんの歌声と自然の中に存在する常田大希さんの歌声は同一なのである。つまり常田大希さんの歌声は神の歌声なのである。ここで一つ疑問が生じる、物質世界と神がイコールであるならば、物質主義と神を信じるということは両立してしまうのではいかと。もっと言えば無神論と汎神論は両立するとも言えてしまう。そうこの考え方は唯物論と両立するのである。感覚的にそれを許せない人もいるだろうが私はそう考える。問題はなぜ私がそれに気付いたかだと考える。私は悩んでいたのだ、長野に行くべきなのか行かないべきなのか。長期間家を空けたこともないし、ホテルにしても一軒家にしても固定回線がないからパソコンゲームもできない、つまりしーにゃといちゃいちゃできない、私は悩んでいた。そんな時だった、そんな時に常田大希さんの歌声が流れ込んできたのである。そして私は全てを理解したのだった。理由などない、いや説明のしようがないと言った方が正しい、神託、いやここで神託という言葉を使うのは誤謬である。神託というと何か、外からの神の言葉の様な印象を与えてしまうが、気付きを得たのは私が全て自発的に得た答えなのだ。しかし結果的にはそれが神託である、とも言える。何故なら私は神の一部、というより神そのものだから。そうして私は長野へと向かったのだった。

続きの前に全てを気付かされた常田大希さんに敬意を表して、改めてKing Gnuとヒゲダンを聴き比べてみる。全然別物だった。何故これを混同して覚えていたのかわからないくらい別物だった。私はどちらかと言えばKing Gnuの方が好みだ。特別刺さる訳ではないがいい曲だと思います。ヒゲダンは全部曲が一緒だ。しかしやはりバンドと言えばナンバーガールである。安藤美智子がナンバーガールファンだという事はこれを読んでいる人のほとんどは知っているだろうが、やはり一番はナンバーガールなのである。中学生だったか高校生だったかそれぐらいの時期に知ったのだが、その頃の安藤さんにばちこり刺さったのである。それからずっと好きなので十年程度は聞き続けているわけである。2019年に再結成してから再解散するまでコロナなどもあり結局ライブには一回しか行けなかった。ただ二十年前に解散したバンドが再結成してそのライブに行けたというのは、一回だけでも価値があった。ナンバーガールが私に与えた影響は大きい。音楽観、死生観はかなりの影響を受けている。ナンバガザゼンにおける頻出ワードといえば「諸行無常」である。諸行の無常を感じて感じて……

 

第五章 伊那春日公園の乱

そもそも何故私は長野へと向かっていたのか、何故今の様な事態になったのか。そして何故それを説明するはずのブログでクロンダイクや幽霊、常田大希、神についてぺらぺらと語っていたのか。わからない。そもそも何を目的としていたのか、わからない。そもそも目的などあったのだろうか、そもそも目的とはなんなんだろうか?生の目的とはなんなのか?長野に行く行かない、今どこで何をしているかなどマクロの視点で見ればどうでもいいことなのかもしれない。そもそも全てどうでもいいことなのかもしれない。生も死も目的も全てはどうでもいいことなのかもしれない。考えることなど無駄なのかもしれない、生にしても死にしても答えなど出せない以上考えるだけ無駄なのかもしれない。ただ生きるだけである。ただいずれ死ぬだけなのだ。そしてただ長野にいるだけなのだ。何があったかなど関係ない、目的などあってもなくても同じなのだ、ただ今、ここにいるということ。それ以上でも以下でなく、ただ今、ここにいる。諸行の無常。ただ流されているだけだ。川を流れる水は何故流れているのかを考えているだろうか?いや、いない。いずれ海に辿り着くことを知っているだろうか?いや、知らない。そして海に辿り着いた後、水はどうなるのか?知らない。水という物質と人間という物質に違いなどあるのか?ない。私達はただの物質なのである。ただ流れるだけである。そう、私は今回長野に行くにあたって考えることをやめた。勇気ある選択である。行く、行かないの二つの選択肢から第三の選択肢、思考放棄を選んだのである。それは選んだのでなく思考放棄しただけなのではないか?いいえ違います。思考を放棄するということを選択したのであって思考を放棄したわけではないのだ。まぁ常人には出来ないでしょうね。そもそも今回長野に行くという話は本当に突然の事でした。あれは九月の頭のことだった……というか今これ書いて思ったけどもう一ヶ月経ったのか……

 

DKOを振り返り①・なぜ湾フグロッドだったのか? <中編(異)>

こんにちはっ❣️21歳女子学生兼丸の内オフィスレディの安藤美智子です❤️

 

第四章 常田大希の勇

クロンダイクの変、から始まり遂に私は常田大希について語らなければならないのだろう。私に起きている今回の出来事、いや私の人生そのものを語る時に常田大希は避けては通れないものなのだ。

まずその前に私が今住んでいるこの家について話さなれけばならない。今年の2月にも私は長野へと足をのばしていたがその時は車での通いだったので当たり前だが住む場所は必要なかった。しかし今回は長期になる可能性がある、夜遅くなる可能性がある、疲れている中往復運転している場合ではないなどの理由から今回は泊まりになったわけである。そもそも私は二月の時も泊まりで構わなかったのだけれど後輩が通いがいいと言っていたのと期間が1ヶ月間しかなかったのもあって泊まりにはしなかった。色々慌ただしくばたばたした中ではあったが当分の住処については当時二個の選択肢があった。一つはビジネスホテルあるいはマンスリーマンションである。宿泊費の補助は出るとの話ではあったが全額ではなかった。もう一つは出向先の寮である。社員寮、という言葉を聞いて思い浮かべるのはマンションの様なタイプだと思うがここでいう寮というのは一軒家である。コロナ前までは四人程度が生活していたらしいが今は誰も住んでいない様だった。こちらについては光熱費は除いて無料で利用していいとのことだった。なら後者の社員寮を選ぶ人が大半だと思うが、問題が一つあり、さっき話にでた後輩が女性で今回も同行するということだ。つまり社員寮(一軒家)に男女二人というのは問題だろうしどちらかがホテルになるということだった。だと思っていたのだが後輩は別に気にならないとのことだったので二人で一軒家を借りることになった。まぁ正直私がかなり難色を示したのだけれど、まぁ正直ホテル代などは取られたくなかったので結局は折れることにした。わくわくドキドキ恋愛リアリティーショーの開幕である。そんなことはない。当たり前だかそんなことはないのである。そもそも前は4人ほど住んでいた二階建て二世帯住宅で一階と二階で完全に棲み分け出来ているのだ。故意に接触を図ろうとしない限りは基本的に一つ屋根の下というだけで全くの別空間だ。脱衣所を開けたら服を脱ぎかけの人がいたりとかそんなトラブルは起こそうと思わない限り起きないのである。そもそも論としてそういった対象として見られていない事は別として何故後輩が一緒でもいいとか言い出したのかと言うと、出向先の人によるとなんでもこの一軒家「でる」らしいのだ。別に亡くなった人がいるとかではないらしいが、この寮を利用した人の何人かはそう言った目撃談があるとのことだった。それを聞いた時に後輩は怯えていたが私は構わなかったので私が一軒家の権利を得たと思ったが、ホテル代を払いたくなかったのは後輩も同じだった様で、じゃあ私がホテルかと思ったが、でる家に一人は嫌だということでこの様な形になったわけである。

ここ二年間ぐらい心霊や幽霊といった類の動画などは見飽きるほどに見た。所謂きばセレである。その前までは私のそういったものに対するスタンスは普通に恐怖であった。まぁ当時から存在そのものに対しては懐疑的ではあったが、幽霊の話や動画は普通に怖かったのだ。だが今の私のスタンスは、無、である。心霊映画、怪談、投稿動画などを摂取しまくった結果、それらは全て嘘であるという結論に辿り着いた。まぁそもそも映画などはフィクションなので当たり前なのだか。それはそうとして、私は幽霊などいない、と断言するわけである。そういったものに対して恐怖というものは感じなくなってしまったのだ。心霊などをフィクションとして楽しむことを否定しているわけではない。私も面白い作品は普通に好きだ。ただ怖いとは思わないだけであって心霊や幽霊を扱ったコンテンツを否定しているわけではないのだ。また幽霊はいると思っている人を頭ごなしに否定するつもりはない。さっきいないと断言しておいてなんだが、いてもおかしくはないとも思う。未来の技術力では幽霊などを立証できる可能性もあるのかもしれない。ただまぁ現時点で私はいないと言わせていただきますが。基本的に私は立証主義に立っているのだ。主義とか言い出すとなんか話をでかくしすぎな気もするけれど、私は神も信じていない。無神論者ではあるが、汎神論には理解を示している。まぁここでは神はいようといなかろうが関係ない。日本において無神論者は結構いるらしいが、特定の宗教を信仰していないことがイコール無神論ではないと思うが、まぁそれでも無神論者結構いるのだろう。だか幽霊はどうなんだろうか、感覚的には半々程度だと思われる。いやもしかしたら存在を信じている人の方が多いのかもしれない。確たる証拠もありもしないのに。宇宙のティーポットという話がある。宇宙のどこかに太陽を周回軌道しているティーポットが存在すると主張する人が、誰もこれに反論できないということを根拠にティーポットの存在を信じるのはナンセンスである、という話だ。幽霊も同じである、存在を否定できないことが幽霊の存在の根拠のひとつになっていることがある。ティーポットだと人はそんなわけないじゃんと笑うかもしれないが、こと幽霊となると話が変わってくる。日本において幽霊というのは割とポピュラーな話で幼い頃から触れる話であるからだ。妖怪や学校の怪談など幼い頃から触れているのでさも存在することが当たり前、あるいは存在してもおかしくないなぁ〜程度の教育を自然と受けるわけである。今は少ないが私たちが小さい頃はテレビで心霊特集もよくやっていたものだ。テレビの影響は大きく見てそれを学校で話す、こうしてますます心霊の影響は大きくなる。でも考えてみればティーポットと何が違うのだろうか。実体験として見たことがあるとか抜かしている人は別として幽霊を信じている人の大半は聞いただけで信じているのではないだろうか。そう私もその一人だった。人並みにこっくりさんトイレの花子さんを怖がっていたし人並みに幽霊の存在をなんとなく信じていた。しかしそれらは言ってしまえばプロパガンダの結果であるとしか言いようがない。そもそも例えば暗いところを怖いと思うのは根源的な恐怖である、そこにつけこみ「幽霊」という存在を教えられるとさも闇への根源的恐怖が幽霊への恐怖と置き換わってしまうのだと考える。そういった幽霊の恐怖のプロパガンダを受けて育った結果、人は幽霊を信じるのだろう。幽霊なんて信じてない、と言うと「じゃあ深夜に廃病院一人で行けるの?」とか言う人がいますが、信じているか信じていないかは別として、深夜に一人で暗いところにいるだけで人間は怖いのである。という話をすると「怖いんじゃんwww」と言われる。ぶっ殺すぞ。改めて考えると幽霊がいるという根拠があまりにもなさすぎるのだ。私に言わせてもらえば、幽霊を信じている人間は疑うことを覚えた方がいい。「私霊感あるんですよ〜」とか「私幽霊見たことあって〜」とか言っているやつ全員バカそうである。そんなやつのことを信じるよりは私は私を信じると言う話である。また幽霊を信じている人間は、人間の意識というものを棚に上げすぎだと思う。幽霊によくあるのが恨みつらみで成仏出来ずに幽霊として漂う、というのがあるが、だから何?という感じだ。そもそも人の意識などただの電気信号にしか過ぎない、記憶もそうだ。それが肉体が死んだ時になんになるというのか、何にもならない。恐らく信じている派は「死」という現象に夢をみすぎている。それは分からないでもない、死というのは最も身近にある謎だからだ。宇宙は謎だ、だがスケールもでかいし普段宇宙を意識しながら過ごす人は少ないだろう。しかし死は生きている限り多かれ少なかれ意識するし、身近で発生したりもする。そして死んだらどうなるか誰にも分からないのだ。生物は等しく死ぬが誰も死を経験したことがない。だからこそ幽霊は宇宙のティーポットなのだ。死んだら怨みで幽霊になる、そうなのかもしれない。反証のしようがない、分からないのだから。しかし私は死を特別視していない、ただ死ぬだけなのだろう。天国も地獄も輪廻転生も幽霊として漂うこともない、ただ死ぬだけだと思っている。これが正しいのかは分からない、ただ死に対してこういうスタンスなので幽霊に対してもこういったスタンスなのである。ということは幽霊を信じている人間は「魂」という概念を信じているということなのかもしれない。魂の定義にもよるがここでいう魂とは、自意識、を超越した何か、肉体とは別に存在する精神としての実体を指す。私は魂を信じていない、自意識というものは肉体の電気信号に過ぎず、肉体が死ねば自意識も死ぬ。それが私の考えである。これも正しいのかは分からない、ただそう思うだけである。ただこれが最も現実的な考えだと思う。霊魂などありはしない、霊魂など「幽霊」「天国と地獄」「輪廻転生」これらのプロパガンダの産物にしかすぎないと思う。日本ではこれらの考え方と触れ合う機会が多いのだ。最早色んな媒体で天国と地獄はあることが前提の様な感じである。誰も見たことがないのに。しかも幽霊を否定することには同調してくれても天国と地獄については同調されなかったりとかなり深く根付いている印象を受ける。死んだらどうなるかなど誰にも分からない以上あるかもしれないしないかもしれないのフィフティーフィフティーであるはずなのにも関わらずだ。本当に魂というものが存在して未練や怨みがあると幽霊として天国にも地獄にも行かずに現世を漂うのだとしたらあまりにも目撃談が少なすぎると思う。大抵の人間は死ぬ時に多かれ少なかれ未練とか怨みとかあるとおもうんですけど、一日に日本だけで3000人ぐらい死んでいて、まぁその1/3の人が未練があったとして1日で千人の幽霊が誕生していることになります。一週間で7000人、一ヶ月で3万人。そしてそれらは消えずに漂うわけだからどんどん増えていく、にしては目撃談が少なすぎる。「いやそれは霊感がないから〜」まぁそれを言われるとそうなのかもしれないが、というより霊感は存在しない、と言い切れない限りはそれはそうなのかもしれないと言うしかないのだか、それにしたって、という感じである。逆に言えば霊感のある人間が存在するとしたら、その人は日常生活を送れないと思うのだが、とんでもない量の幽霊がいるならたまに怖い思いをするとかそういう以前の話になると思うのだが、大半の人間は病院で死ぬと思うので病院とか行ったらすごいことになってそうだが。そもそも霊魂というものが存在して死んだら幽霊になるとしたら、人間以外の生物はどうなんだろうか、動物とかの霊もいると言うし、全ての生命が幽霊になるとしたらとんでもないことである。人間しか幽霊になれないというのならそれはそれで驕りが過ぎるというものである。畜生と人間に違いなどない。

そう言うわけで私は幽霊を信じていないのでこの一軒家に住むことはなんの心理的な瑕疵など存在していなかったのだが、後輩はそういうわけでもなかった。めちゃくちゃに怖がっていた。まぁでも住めば都といったもので今では別に怖がっている様子はない。最初の頃家鳴りに悲鳴を上げて私がビビってすっ飛んで様子を見に行くということがあったのだけれど、家鳴りは家鳴りである、木造住宅でよく見られる現象で気温差によって柱などの建材が収縮した結果音がなるというものである。普段意識してなくとも「でる家」と聞かされていたから気になってしまうのだと思う。そもそも家鳴りと言う現象そのものを知らなかったみたいだし。木造住宅に住んだことがない人間はそこまで気にしたことがないのなもしれない。しかし別に鉄骨住宅などでも起こらないわけではない、気にしてないから覚えていないだけだと思われる。この寮は恐らく木造の2×4だと思われる、なのでたまに結構な音量でパキッとか聞こえる。確かに知らなかったら所謂ポルターガイストと思っても仕方ないのかもしれない。また当時幽霊を見たと言う話も考えものである。その当時は3-4人程度の他人同士が住んでいたというのなら、寝ている間に同居人がうろうろしていたのをドアの隙間から眠気まなこでみたのかもしれない。同居人の足音を何かと勘違いしていたのかもしれない。人によると思うが自宅ではない環境で他人と同居するというのはそれなりの心理的緊張をもたらすのではないだろうか。それらと仕事の疲れが合わされば勘違いなども起きそうなものである。私もここに来てから一度夢でなんとなくその家の中で何かを見た。ただ確実に夢だと言える。或いは本当に見たのかもしれない。まぁ私は幽霊を信じていないが、もし仮にいたとしたらぶっ殺すぐらいの気持ちでいる。かかってこい。私が通話中にコックリさんを呼び出すところを聞いた人は多いと思うが未だに来ていない。つまりいないのだ。そしてコックリさんなどにも見られるように怪異譚というものは人間の心理をついてくる。今回、後輩がただの家鳴りに驚いたのはそれが「でる家」と聞かされていてのがでかいと思われる、きっとそんなこと言われてなかったら驚木はしたかもしれないが悲鳴は上げなかっただろう、つまり心理的な隙をつかれたわけである。同様にコックリさんはどうだろうか、細かくルールを設定してそのどれかが一つでも失敗すると呪われる……失敗することを過剰に煽っている。失敗すると錯乱するとか死ぬとか知っているそんな中で呪術的儀式を行うというのは緊張が走るというものである。そして緊張というものは心理的隙を生む、正常な判断ができなくなったり、或いは精神が正常でなくなったりする。幽霊などというものは総じてそういうものだと思う。そして話しは本題の常田大希に入る、と思ったのだが思いの外時間が経っていたので今日はもうねます。

 

DKOを振り返り①・なぜ湾フグロッドだったのか? <中編>

第一章 クロンダイクの変

こんにちは❣️❣️21歳女子学生兼丸の内オフィスレディの安藤美智子ですっ❤️

いま緊急で記事書いてるんですけど、今日は最近どこにも顔を出していない理由について話したいと思います。いやまあ別にツイッターいやXに書けばいいんですけど、でもあのアカウントってもう最早私にすら自由に扱えないと言うか、まぁ義務……自意識過剰義務……湾フグしか呟いてはいけないという自意識過剰義務においやられています。まあ別にそんなこともないんですけどね、急にVtuberとかホロライブの話してもいいんですけどね私は。まぁでもみんなが好きでしょ、湾フグ。

まずはこの話をします。いや私はこの話をしなければならないのだろう。ソリティアというゲームがあります。知らない人はいないと思いますが、昔のウィンドウズに標準搭載されていたし、幼き私もよくやっていました。そういえばラミィの大冒険もよくやっていました。クリアした記憶ないですけど。思えばラミィがローグライクで初めてやったタイトルかもしれませんね。まあそれはいいとして、ソリティアというのはそもそもカードなどを使った一人遊びゲームの総称であり、私達がソリティアと呼んでいるものはソリティアであって厳密にはソリティアでありません。私達がソリティアと呼んでいるトランプを使ったあれは正確にはクロンダイクと言います。私がこれを知った時には結構な衝撃でした。クロンダイクさんもこんなことになっているなんて思ってもいないとおもいます。今私が住んでいる家には固定回線もないし自前のパソコンもありませんので、携帯で暇つぶしをすることが多いのですが、中でも今日はソリティア改め、クロンダイクの話をします。ナンプレ及びキラーナンプレを安藤美智子が大好きだというのは当たり前のこととして、携帯でそれらをやっていると広告が流れてきますが、その中にクロンダイクがありました。私がやっているキラーナンプレと制作会社が同じだったのと暇すぎたのでインストールしてみました。思えばこれでeasybrain社様のアプリはよっつめでありました、いつもお世話になっております。名前は当たり前のようにクロンダイクではなくsolitaireでした。私はパズルゲームが好きですが、中でも所謂ロジックパズルというものが好きでして、法則性がありそれに則って計算なりで答えが出せるゲームが好きですが、クロンダイクは言ってしまえば運ゲーです。いや一言に運ゲーと言ってしまうと全国2909万人のクロンダイカーに怒られてしまいそうですが私は運ゲーだと思ってやっています。詳しくない方に説明しますと、それゲームとして成立してないじゃんと思われる方もいるかもしれませんが、そもそもクロンダイクには絶対にクリアができない配置というものがあります。嘘か本当か統計的に見るとたしか全体の二割程度がそもそもクリア不可能配置になるとかならないとか。つまりどんなにうまい人でも100回やったら20回はクリアできないという訳でロジックもクソもないです。そして基本的には八割もクリアできません。アプリやそのクロンダイクのルールによって変わってきますが一手巻き戻すという技を使ってようやく八割です。その機能を制限すると勝率は高くても四割程度だとか。あ、これは三枚めくりというルールの話であって一枚めくりだともう少し勝率はあがると思います。クロンダイクはロジックというよりも記憶力のゲームです。じゃあロジックパズルが好きとか言っておきながらなんでクロンダイクやってるのと思われた方は正解です、そもそも暇を潰すほど暇ではなかったのですが、それでも隙間時間はできるし現実逃避もしたくなる訳でして、そんな中では最早適当にぽちぽちしているだけの運ゲーの方が気が楽なのでありました。ナンプレもキラーナンプレもcross mathもデイリーミッションしかやってなかったのですが、このクロンダイクのアプリでは今、スコアアタックイベントが開かれていて興味はなかったのですがなんとなくランキングを開いてみたらその時は確かベストスコアが20位ぐらいだった気がしました。それを見た時に「運ゲーでスコアもクソもないだろ!」と憤慨しましたが、なんとなく私もスコアアタックをしてみたらこれが意外と面白く今に至るわけでした。まあそもそも本当に人がやっているのか疑問が残るランキングボードではありますが……なんか個人個人でその人のモチベになるような感じで適当にAIと競っているだけなのかもしれません。誰かインストールして私とランキングボードが同じなのか確かめてください。そんなこんなで暇な時と寝るまえにクロンダイクをやり続けて三日ぐらい遂に私は一位をとりました。

それも圧倒的なスコアで。これが二日前ぐらいのスクショなのですが、今開いても抜かされていませんでした。このスクショと今の順位は変動しているので一応は動いているらしいがさっきの懸念が消えない。まぁ正直順位などどうでもいいのだ、運ゲーだし。それよりも問題はもはや何をモチベーションにこんな運ゲーをやらなければならないのかという事である。やめればいいじゃん、と思われた方、はいもうデイリーしかやっていません。つまり何が言いたかったのかと言うとクロンダイクが終わって暇になったからこの記事を書いているということであり、ここまではただの余談に過ぎなかったということである。そう、クロンダイクは私が最近浮上しなかったことの直接的な原因ではないのだ、当たり前だが。そんな人間はいない。そんな人間はいてはいけない。

閑話休題

そうつまりなぜ私がパソコンもせずにスマホアプリの運ゲーなんぞに手を出さなければいけなくなったのかという話に帰結するわけだ。あれは……九月の頭のことだった…………

 

第二章  御嶽乗鞍駒ヶ岳の怪

長野県、信濃の国、信州、それは山梨県のとなりであり福島県の3個隣の行政区画の一つである。山梨県民としても馴染み深い土地であり、安藤美智子個人的にもいろいろある土地である。そもそも安藤美智子は安曇野に在住しているという設定がある。あぁ〜と思ったあなたはそこそこの付き合いですね。まあ嘘…いや嘘ではない、設定が実態と異なると言うことは嘘ではない。設定は設定なのだから。これを嘘とか言い出したらこれを読んでいるあなたのハンドルネームだって嘘ですよ❣️住民票に記載されているんですか⁉️なら文句は言いません、この世の中はこのように設定と実態が異なることの方が多いのです。      

•書類上の父と母

こんなのは典型的な設定と実態の違いですよ❣️設定上の父母と実態としての父母が違うなんてことはよくあることですから。まぁ……よくあっちゃだめなんですけどね。

•役所に届け出ないで恋人の家に同棲する

非営利団体の資金の出所

•虚に懸賞金

•因果の鎖

•チャドの存在

そして安曇野在住が嘘だったとしても最早嘘ではないのです、そう私は今長野県にいるのですから。

そうあれは九月の頭のことだった……

第三章 石川数正の妙

飽きました、もう寝ます。多分年内は長野だと思います。